温泉ガイド拾遺・失われた温泉たち
西鉛温泉


鉛温泉と新鉛温泉の間の豊沢川のほとりにその温泉はあった。この温泉は、今はなき花巻電鉄の終点でもあった


この温泉は1889年に発見され、1891年に温泉宿が開設。戦後の一時期は岩手県の職員保養所となっていたが、1972年に閉鎖


「秀清館」と呼ばれた西鉛温泉の旅館は、1934年から宮沢賢治の母イチの実家である宮善(宮沢商店)の所有だった歴史もある


「今度は西鉛温泉に行こうということになった。ここは先生の母方の実家があり、そこが温泉を経営している。先生にとっては勝手知ったる温泉です」晴山亮一『深夜の温泉めぐり』より


「明治の初めの頃のものらしいが、大変な建築道楽が建てた家で、文化財に指定したい位のものである。(中略)ともかくこの建物を見るだけでも西鉛へ来た価値は充分にあると思ふ」高村光太郎 昭和31年3月号『旅行の手帖』より


旅館の母屋は残っていないが、石組みのかつての露天風呂が水を湛えていた


「温泉紀元」と彫られた石碑がぽつんと残っていた


比較的最近まで使われていたと思われる湯小屋があった。閉鎖後も共同浴場として使われていたのだろうか?


入り口は厳重に封鎖されている。上部の窓から浴室を覗き見る。いちおう男女別だったようだ


湯小屋のすぐわきには豊沢川が流れる。歴史のあるこの温泉は誰に知られることなく、消えていこうとしている



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